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寝てばっかりで大金を稼いだ「三年寝太郎」は実在した!? 武田信玄ゆかりの武将だった!? 

日本史あやしい話34


3年間にもわたって寝てばかりだったという三年寝太郎。彼のモデルは、草履を使って砂金をかき集め、それを元手に水利施設を作って村を開拓したという、とんでもない偉人だったという説がある。しかも、かの武田信玄ゆかりの人物だったとも。それって、本当のことなのだろうか?


 

■寝てばかりの「三年寝太郎」が行った、仰天の金稼ぎ

平賀玄信の胴塚(筆者撮影)

 「三年寝太郎」とは、伝承の中に登場する、いわゆるおとぎ話の主人公である。文字通り、3年間も寝てばかりいたという厄介者で、庄屋の子とはいえ、鼻つまみ者として村人たちから笑い者にされた男であった。

 

 それがある時、何を思ったか、ガバッと起き上がるや、父に「千石船(せんごくぶね)を作ってくれ」と頼みこんだ。もちろん、父が驚いたことはいうまでもない。しかしこの父親、何とも息子には甘かったようで、言われるまま千石船を作ってやったという。と、今度は、「船いっぱいの草鞋を買ってくれ」とも。それも渋々ながら叶えてやると、寝太郎はどこへとなく船出していってしまったのだ。

 

 それから40日も過ぎたある日のこと。船に乗った寝太郎が帰ってきた。しかし、船内を見ると、泥だらけの草鞋でいっぱい。誰もががっかりしたことは想像に難くない。そればかりか、またもや父にねだって大きな桶を作ってもらい、「泥だらけの草鞋を入れて洗え」とも。もはや開いた口が塞がらないと言うべきだが、これにもまたも息子の言うがままにしたというから、呆れるばかりである。

 

 しかし、その後の展開が意外であった。三日三晩かけて使い古した草鞋を洗い終わり、上澄みをそっと流し捨てて中を覗いて、びっくり仰天! なんと、桶の底にピカピカ光る砂金がうず高く盛り上がっていたのだ。

 

 実はこの男、佐渡の金山に出向き、そこで働く人々に頼み込んで、新品の草鞋と履き古した草鞋とを交換してもらっていたのだ。使い古した草鞋の底に付いた金を、何食わぬ顔でかき集めて持ち帰ったという次第。寝太郎はそれを売ったお金で、川を塞きとめるための堰や水路を作って、村の荒れた土地を美田に変えていったという。めでたし、めでたし……と、まあ、これが三年寝太郎のお話である。

 

■駅前の銅像や、神社まで…地元で大人気の寝太郎

 

 この物語が伝えられたのは、山口県の南西、山陽小野田市の厚狭(あさ)地区である。ただし、この伝承、ただの作り話というわけではなかった。同地には、寝太郎用水路や寝太郎堰とも呼ばれる大井手なる水利施設など、三年寝太郎物語に登場するものと同様の遺物が現存するからだ。

 

 さらには、大井手によって開拓された383haもの美田・千町ヶ原が広がるほか、寝太郎を祀る寝太郎荒神社や寝太郎を御神体(稲荷木像)として拝むことのできる円応寺まである。加えて、駅前に大きな寝太郎の銅像までそびえるという念の入れよう。地域がこぞって寝太郎を盛り上げていこうとの熱意が、ヒシヒシと感じられるのだ。

 

 そして、単なるおとぎ話の主人公だったというだけなら、これらの水利施設が残されることはなかったはずである。それらが存在するということは、つまりこの伝承が何らかの史実を物語っていることを示している。実はこのお話の主人公・三年寝太郎には、モデルとなる人物がいたというのだ。

 

 

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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